変態っ!...ってなんだ?

「変態」、変態性癖のことです。

「変態」とは何なのか考えます。

もちろん、私の書く記事ですので、「これが変態といえる性癖でーす!」などという結論は出しません。ご安心ください。

パターン1:主張が激しい場合

変態について書く前に、まず「普通の性癖(性癖がない)」について書こうと思います。

で、いきなり結論ですが、「変態」も「普通」も、相対的です。時代や流行によって変わります。

ですから、「絶対に、いつでもどこでも普通の性癖」「いつでもどこでも、必ず変態と言われる性癖」は、ありません。

これは前提ですね。

とはいえ、とりあえず定義をしないと何も書けません。

ということで、基準の舞台は現代日本、年代は20代にします。

 

ここで私のイメージする「普通の性癖」は、対男性の場合は「ややイケメン、細マッチョ、隠れS」で、対女性の場合は「そこそこ可愛い、やや巨乳、清純」という感じです。

まあ「普通の定義」は主観でしかありませんので、各自で補完してください。

今のは、ここから先の文を書くため、仮にこしらえた「普通」です。

 

で、彼ら彼女らはほぼ間違いなく「変態ではない」のですが、もしTwitter

「塩顔は神が我々に与えてくださった“宝”だ…あの鍛えすぎないところで抑えられた肉体は芸術的だ…そしてその笑顔の裏に隠された、わずかな加虐性の輝きときたら……!!尊い!!!

とか、

「一見平凡だからこそ、パーツごとの美しさがより一層輝きを放つのだ。包容力と少女の発達過程のミックスと言えるCカップこそが女神の条件であり、また世の中の汚れを知らぬ純真さが合わさることで、この世界で最上の作品が完成する……!!優勝!!!

などと、熱い思いの丈毎日語っていたら、

「すごい熱意の変態だな...」

と思います。

 

つまり、性癖の内容は普通でも、保持してる人が熱く語ることで変態になるのです。

性癖に限らずですが、表に出さなければ何も言われません。

内容はどうであれ、語りまくって初めて周りに認識されて、人によって性癖は多少なりとも違いますし、公の場では性癖は語りにくいものですから、それでだいたい「変態だね」と言われるのです。

パターン2:変わったものに興奮する場合

今度は、性癖の内容です。

明らかに珍しいものに興奮している場合です。

多くの場合は、同種族である人間に興奮すると思いますが、世の中にはいろいろな人がいるみたいです。

人間よりも動物がいいとか、本人よりも洋服がいいとか…

 

もしこの「珍しいものに興奮する方々」が、己の性癖を隠し通した場合は、何も言われません。

ですが、こういった「変わった性癖の人々」は、周りから「変態だね」などと言われずとも「いわゆる変態の属性を持っている人」だと思います。

お月様に「この時代には珍しいやつだなあ」と思われるのです。

それに比べれば、人間たちが言う「変態だね」というのは、主観的で刹那的なのです。

変態になる方法

私も一時期「奇人キャラみたいでかっこいいから、変態になりたい」と思っていたことがあります。

そんな今を生きる青少年が青春を楽しむため、「変態扱いしてもらえる方法」を書き残しておきましょう。

 

ということで、ためしに口調を変えてみます。

 

…はい。

上に書いたことを組み合わせればいいだけだね。

すなわち…

  • みんなが思うであろう「普通の性癖」をイメージする。

  • その「普通」からかけ離れた、君がまあまあ好きだと思える属性について、人前で熱く語る。

これだね。

パターン1で書いたように、人前で熱く語りさえすれば、内容に自信がなくても大体面白くなるよ。

ただ、「熱く語る」というのは「長く」とか「毎日」とか「大げさな言い方で」言うことだから、国語の授業を寝ずに受けて、人に面白がってもらえる文が書けるようにしておこう。

もしスキルがあれば、イラストにするとかなりインパクト大きくなるぞ。なんといっても、多少は色っぽいイラストになるんだから、視覚的に強い。分かりやすくなるしね。

ただ変態になりたいだけなのに結構スキルが要るなんて、どういうことだろうね。

変態はただの変態のはずなのに、世の中は変な仕組みだね。

 

本心じゃないキャラで一回「変態」という称号をもらうと後々めんどくさいと思うので、そのへんは考えてからやろうね。

もしウケてフォロワーが増えたら、変態扱いに飽きても引くに引けなくなる。垢消しすればいいだけだけど。

一番負担がないのは、もちろん「本当に好きな対象が珍しかった」場合だけど、そういう性癖になるように狙って育ってこれるものじゃないから、もしそうだったら手間が省けてラッキーだね。

その分、現実世界だとなかなか刺さる人が現れなくて、やきもきすると思うけど。

 

ではみなさん、たのしい人生を歩んでください。

嫌な記憶を軽くするには、自我という「番犬」をしつけよう

どうもです。

まずは雑談。

このあいだ、友人がメロディックスピードメタルに興味があるということで、一緒にTwilight Forceのライブ(Evoken Fest 2017)を見に行きました。

私は普段主にメロディックデスメタルを聴いているんで、そこまでメロスピには詳しくないのですが、友人のメタルライブ初参戦ということで付き添いました。

そしたら、彼女の好きなTwilight Forceに私が興味を持ってしまいました。

↓ちなみにこんなバンドです。ゲーム音楽やアニソンが好きな人には超おすすめ。

いやー、これだから面白いですね。

じゃ、さっそく書いていきますよ。

自我という番犬

例えば、過去に特定の人から嫌がらせを受けていたとします。

そこで「私」は、「嫌だなあ」と感じ、それで「あの人は嫌な人だ」と定義するわけです。

ここで「嫌だなあ!」と感じているのは、誰でしょうか。

「私」でしょうか?

そう見せかけて、本当は、自我ですね。

「自我」と「私」は、ちょっと違います。理想形は「私が、自我をコントロールする」ですが、何もしなければ大体「自我が、私をコントロールする」状態になっています。自我のコントロールは、瞑想で修得できます。

自我をぐっすり眠らせている状態だと、一般的に嫌なことがあっても「あらあら、しょうがないね」程度にしか思いません。体験済みです。

では、自我は何故わざわざ「嫌だなあ!」と感じて、私たちを嫌な気持ちにしてくるのでしょうか?

それは、過去の記憶に基づいて、「嫌なこと」「嫌な人」から私たちを守ろうとしてくれてるんですね。

過去にああいう 嫌なこと があった。もう二度とあんな 嫌な思い はしたくない。だから、 嫌な人 から距離を置こう。距離を置くためには、注意信号を送らないといけない、じゃあ 嫌だという気持ち を出そう。...ということです。

自我は、精神の番犬として、私たちの健康を守ろうとしてくれています。

...が、あまり頭は良くないようです。

パブロフの番犬

自我は感度の良い番犬なのですが、ちょっと単純すぎるところがあります。

すなわち、相手が武器を持っていなかろうが、自分から遠いところを歩いていようが、とにかく視界に入ったらドンドン反応してしまう。「番犬である以上、俺はある程度戦えるぞ。だからムダに吠えず、今は眺めておく」ということは、番犬自身にはできない。

遠くに見えただけで、勝手に「見えた!じゃあ攻撃してくるぞ!!」と、ムダに戦闘態勢を取ってしまいます。視界に入ったら即反応。

パブロフの犬と同じです。ばか犬です。

 

パブロフの犬「Aが出たら、イコールBが出ることだぞ」と覚えて、Aに対してBが出た時の反応をしてしまうのです。

このばか番犬も、「あいつには嫌なことをされた。だから、あいつには気をつけよう」というのを一生懸命覚え込んで、「あいつは嫌だ!嫌だ嫌だ!!」に変えてしまっています。

こうなると、困るのは誰でしょう?

そう、「私」ですね。

何も起こっていないのに、自分が見張りをさせている、味方のはずの番犬に嫌な気持ちにさせられています。

悪人と悪事の関係

それから、これにも触れておきます。

嫌な人を見たり、話題に上がったりした時、嫌な気持ちになる。

その人が「嫌な人だから」...と思いますが、実際それは「自分で作った定義」です。

嫌なこと自体は、過去の出来事です。もう自分の前には出てきません。そしてその「嫌な人」は、24時間365日必ず「嫌なこと」をしているわけでもありません。

「あいつが嫌だ嫌だ」と何度も思う気持ちは、自我が勝手に思い出したり想像したりして作っているのです。番犬が過剰反応しているだけで、実際は他の通行人と同じ、気にさえしなければただの人です。

「嫌なことをされたから、嫌いだ」「悪いことをしたから、悪人なんだ」と最初は思うのですが、そのうち「嫌いだから、嫌なことをされるんだ」「悪人だから、悪いことをするんだ」とごっちゃになってきます。

悪人と悪事、どっちが先か?

もちろん、悪事が先ですね。「悪事を働いた人」が「悪人」であって、「悪人のすることは悪いこと」ではない。暴走族が老人に席を譲った時に「悪人がやったから、席を譲るのも悪いこと」にはなりません。

それと同じで、「嫌なことをされたから、あいつとは距離を置こう」はいいのですが、そのうち気付かぬ間に「あいつは嫌なやつだから、もう関わらない」になったりするのです。これは対処法ではあれど、真実ではありません。

このブログで何度も書いているように、「“私” はいない」。「“私” が “私として” 在ること」を決定づける絶対的なコアなど、どこにも存在しない。

同様に「“あの嫌いな奴” もいない」のです。「嫌な奴」というコアは、ありません。それは経験則、もっと言えば色眼鏡に過ぎない。

信憑性はありますし、防衛手段としては合っているのですが、性格も立場も変化します。固定されているものは無いです。

人間関係なので、「いることにしないと成り立たなくなる」、だから便宜上「ああいう奴」と言いますが、本当は「あの嫌いな奴」など、いません。

みんな仮象、思い込みです。

だから、その思い込みさえなくせば、せめて減らせば、気分が楽になります。

いろいろ書いてきましたが、もっとも肝心なのはそこです。

番犬をしつけよう

気分を楽にするため、愛しいばか犬「本当は大丈夫だよ」と教えてあげましょう。

さて、ここで想像してみてください。

あなたの精神の入り口には、番犬がいます。普段は、小屋の中で寝そべりながら見張っています。

もっと精神の深いところには、あなたがいて、遠くから番犬を眺めています。

私は犬なら笑顔の可愛いコーギーとイケメン強面なハスキーが好きですが、ここは私らしく、闇の犬といえばケルベロスにしておきます。ちなみに私は犬と猫なら犬派ですが、最強は鳥です。

...はい。

で、「自我こそが自分だ」と思っている人の場合、その犬には首輪や鎖はついていません。だから、嫌なことがあったりすると番犬が飛んで行ってしまって、自分はそれを捕まえに行かなきゃいけない、つまり自我に振り回されることになります。自分という精神の主人が感情を追いかけて、いるべき場所(精神の天守)を離れてしまうから、変なことになってしまう、ということです。

一方「自我に振り回されてるぞ」と気づいている人の犬には、鎖がついてます。あなた自身が、ちゃんと鎖を付けたのです。嫌なことがあって、感情が動いて犬が「ガッシャン!!」と前のめりにはなっても、それを眺める私自身は犬を追いかけなくて済みます(鎖は毎日手入れ...瞑想しないと、強い感情には引きちぎられる)。

 

こういう風景の中で、もし番犬が頻繁にガッシャンガッシャンやっている、というなら、「何かいるのか?」と聞きに行きましょう。

「おれ、あの いやなやつが みえたんだ!しゅじん、いやだろ。だから、たいへんだと おもって・・・・」

とか言います(喋る犬)。

ケルベロスだったら、

「あの愚か者が視界に入った。目障りだろう。主人が望むなら、奴を抹殺する準備はいつでもできている」

とかですかねぇ(うっとり)(中二病)(流石に自我で相手は殺せないよ)

...はい。

で、そしたら、

「いつもご苦労。理由は分かった。でもな、お前は強いんだ。本当に強い奴は、どっしり構えているものさ。いざとなれば援軍も送る。だから、あいつが見えても、こっちに来るまでは眺めておけばいいんだよ」

と教えてあげましょう。

毎回ガッシャンガッシャンやると、番犬も大変でしょうから、休ませてあげましょう。

ばか犬なので、すぐ完璧にはできないでしょうが、何度でも教えこめばいいのです。

自分は、自分が思っているよりも強いのです。

だって、その「嫌なこと」の実体験を乗り越えてるんですからね。