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「笑顔にしたい」という暴力

「笑顔あふれる〇〇学校」とか、「みんなを笑顔に」などという標語が流布しています。

笑顔というのは、楽しいとか嬉しいといった感情の発露です。

逆に言えば、そういう笑いたくなる感情が起こらないと、自然には笑いません。

感情と表情は、元々は単なる反応であって、理性で操作したり、努力によって達成するものではありません。したがって、感情や表情を目標に据えるのはおかしいのです。それを目標として掲げるのは、「私が良くしてやるんだから、嬉しく思え!」「笑顔じゃないのは悪いことだ!」という強要であり、危険な扇動であり、心の暴力です。

 

他人の笑顔を見ると、なんだかこっちも良い気分になります。笑顔は敵意がないことを表しているからです。反対に、敵意のある怒りなどの表情には警戒します。それは人間の本能です。

接客において笑顔が大事というのは、これが理由です。笑顔で接客されると、お客が心地よい、そうするとリピートしてくれるから、売上を伸ばすために笑顔が必要なのです。

笑顔は単なる表情です。しかし、それで得することがあるので、仕方なく利用することがある、というだけの話です。今となっては笑顔のサービスがあまりにも広まりすぎて、常識と化してしまったので、「単なる表情」とは思えなくなっているのです。笑顔で接しない状況のほうが珍しい。だから一定数の人たちは、自分が安心するために「笑顔が一番!」「もっと笑顔を広めよう」などと言うのです。接客スマイルを本心から楽しいのだと勘違いしているのです。

彼らのように履き違えて、「笑顔はいつでもどこでも最高だ」とか「笑顔じゃないのは失礼だ」などと、単なる表情の意味を拡大してしまうと大変です。

 

人の心に強要するような文言が、さも道徳的であるかのように横行しているのですから、何が本当で何が正義なのか分からない世の中です。

「いじめっ子もいじめられっ子も傍観者も、不登校児も優等生も普通の子も、みんなが笑顔になれるよう約束します!教員全員で心砕きます!」という意味なら、理解はできるのですが、実際そんなことは不可能でしょう。いじめっ子が笑顔でいる横で、いじめられっ子も笑顔にするのは無理です。出来ないことを出来ると言い張るのは困ります。

しかも、「みんな笑顔になろう」などと言う人は、自分が安心するためにお前も笑顔になれと思っているのですから、そんな人におせっかいを焼かれたら「笑顔になってあげないと、怒られるかな」と思ってしまいます。そうなると、その笑顔はもう接客サービスです。

別に笑いたくない時は、笑わなくてもいいんです。それが仕事なら、勤務中に限ってはある程度仕方ないですが、少なくとも子供たちは無理して笑う必要がありません。

学校が毎日つまらないと思っている子がいるかもしれないのに「いつも笑顔」などというスローガンを掲げるのは間違っています。先生たちは、その横断幕で「ぼくは目標を破るダメなやつなんだ」と感じる子がいるという想像ができなかった、またはそういう子を切り捨てたのです。

そして、そういう環境で育ってきた子供が大人になるのですから、彼らもまた「笑顔はいいことだ」と子供たちに強要していくのです。

 

「ウソの笑顔」をやめろという話ではありません。この社会に生きている以上、それは無理です。自分もある程度は作り笑いをします。

そうではなくて、友達といる時に、もし相手が全然笑っていなくても、それで自分が不安になることはないと知ることです。

その数十秒だけ、過去の嫌なことを連想しているだけかもしれません。それを他人が操作することはできませんし、する必要はありません。

感情はその人の領域であって、どうやってもその人の中で完結します。相手の感情が実体化して殴られることはありませんし、自分の感情で相手を抑え込むこともできません。

それを自分と関連づけて、感情を変えよう、利用しようなどとするから、お互いに疲れて苦しいのです。

 

最終的には「自分はない」のですが、自分と相手の区別はちゃんとしましょう。

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