夢と幸福 (ドーナツと餃子)

書きます書きます。

このテーマは前ブログ時代から考え続けているのですが、ようやく考えがまとまってきました。

タイトルがちょっと変ですが、「普遍的」という意味です。

夢自体はいいけれど……

「夢があるのは素晴らしい」「夢を叶えるためには〇〇という習慣が大事」「夢破れたものたち」……

この世の中は、「夢の素晴らしさ」に夢中です。夢が叶うのは素晴らしい、夢のために頑張るのは立派だ、夢が叶えられないのは悲しいことだ。そういう教育を受けてきたから、そう思うんです。そして、実際に「夢を叶えた人」はインタビューに笑顔で応え、それをテレビで見た少年達は「ぼくもああなりたい」と願い、それを聞いた先生や親は「良いじゃない、頑張りなさい」と言うのです。

それは良いのです。やりたければやればいい。夢自体はいいんですが、考え方の問題で、「夢を叶えれば幸せになれる」とか「幸せとは努力で勝ち得るものだ」という風に、そこに幸せを結び付けているのなら、かなり苦しむ人生になってしまいます。

 

「幸せ」はただの感覚であって、ご褒美ではない

夢を叶えて幸せになる人々がいる一方で、特に夢らしい夢を叶えなくても幸せそうな人々がいます。例えば、ヤンチャしてたヤンキーが落ち着いて、妻子思いの良いパパになった、なんてのは最も分かりやすい例ですね。彼は宇宙飛行士でもプロ野球選手でも漫画家でもない、よくいる大工さんだったりするのですが、Twitterで奥さんや地元のダチへの感謝を表していて、だいたい楽しそうです。

なんで彼らは、「夢」を叶えなくても幸せそうなのでしょうか。

それは、元々「幸せ」になる条件として「夢を叶える」は入っていないからです。単純なことです。

「幸せだなあ」というのは、ただの感覚です。自分の感じているものに対する反応です。そこに、夢とか努力とか地位とかお金とか、そういう条件は何もありません。「こういう時は幸せだと思うのが常識だから、幸福感を出す」というものではありません。

それがこの世の中では、幸せがやたら「素晴らしいもの」とか「貴重なもの」みたいに扱われるので、「まさかこれで幸せなんて言ってちゃダメだろう」と思ってしまうのです。

自分が幸せかどうか決めるのは自分であって、世の中ではありません。夢というハードルを飛び越えたら幸せというゴールテープを切れる、というのは都市伝説です。

では「小さな幸せを探す」のが良いかというと、それもまたおかしな話です。精神的にまいっている時の応急措置として「今日あった良いことの数」を数えるのはいいですが、そうでもなければ、わざわざ「小さな幸せを探す」必要はありません。何も「それらしきもの」を探さなくても自分勝手に幸せだと思えるのに、そういう啓発本で著者に解説してもらってまで「私って幸せだったのよね!」と頑張って思おうとするのは遠回りです。わざわざ「著者認定の小さいハードル」を持ってきてもらって、自分がその他人のハードルより大きいことを確認しています。これは「夢が叶えば幸せなんだ」と構図が同じであって、しかも自分のハードルやゴールテープを著者に決めてもらっています。気晴らし程度にはなりますが、おすすめはしかねます。

理由がなくても、他人がどうであっても、当人さえ「なんか、いいかんじだなぁ」と思えば、何も確認しなくてもそれでその人は幸せですし、思考停止で幸せだと感じていいんです。

その点、学校に行かなかったヤンキーは変な常識に染め上げられていないので、あるがままの「幸せだな」を感じやすいのかもしれません。

 

「夢を叶えるのは良いことですよ」と言ってるのは誰か

それは、夢を叶えた人です。当たり前といえば当たり前です。夢があって、その実現のため頑張って、結果叶った。その体験について「良いものだよ」と言っている。何も問題ありませんね。

ただ、その人が夢と幸せをくっつけて語っている場合は、ちょっと危ない。彼は非常に「頑張って」夢を叶えて「幸せになったぞ」と思っているのですが、一方では「あまり頑張らなくても幸せな」人々がいる。そうなると、その頑張り屋さんは「楽して幸せだなんてウソだ!俺の努力は何だったんだ」と感じてしまいます。だから夢と幸せをくっつけて、自己肯定します。あいつらの幸せは偽物の幸せで、劣った幸せで、そう思い込んでいるだけなんだ。俺は努力して夢を叶えたから、本当に幸せなんだ、と。

何を隠そう、私が過去にそういう感覚を抱いていたので、分かるのです。まあ夢は叶えていませんが、何かと「頑張る子」だったので、ヤンキーに怒りを覚えると同時に憧れた時期がありました。

しかしながら、そういう他人を妬むような気持ちが強く湧いてくる時点で、彼はそんなに幸せではない。幸せより妬みとか怒りが前に出ているのですから、単純にそういうことです。

 

夢と幸せは別のこと

夢は、叶えたかったら叶えれば良いですが、無理して叶えなくてもいいですし、夢がなくてもいいんです。それは各々の自由です。成功してもいいですが、挫折でもいいですし、平坦でもかまいません。ただ、夢を追う人をバカにしたり、夢がない人を見下すこと、これが良くないんです。

別の話ですから、「夢が叶う、しかし、幸せではない」という式と同様に「夢が叶う、かつ、幸せである」という式も成り立ちます。ドーナツがおいしいのと、餃子がうまいのは、特に関係ありません。その関係と同じです。だから、夢に幸せをくっつけている人がいたら、ドーナツと餃子をごちゃ混ぜにしていますから、あまり影響されない方がいいかもね、ということです。

 

 

今の世の中では「夢」や「幸せ」が必要以上に唱えられ、崇拝されています。自分の人生をその雰囲気に捧げてしまうことがないよう、気をつけましょう。