心の向く方へ・虹の彼方

ポケモン映画「キミにきめた!」を見に行きました。

自分の評価としては「佳作」でした。ちなみに個人的「良作」はルカリオマギアナ、「秀作」はエンテイミュウツー・ラティ兄妹です。

「キミにきめた!」全体の出来はまあまあでしたが、込められたメッセージによって観た後にすがすがしい気持ちになれたのが高ポイントでした。

 

さて、そんな「すがすがしいもの」を受け、思考というか考えが進んだので記事を書きます。「キミにきめた!」のネタバレは、最初に1行、最後に1単語だけあります。

いつもの事ですが、記事内容は特にすがすがしくないです。

感情じゃなくて...

劇中、サトシが一時の感情に振り回されて、大切なことを忘れてしまうシーンがあります。

これが印象に残ったのでしょう、映画を観終わって、なんとなく「“感情”のまま、ではなく“心”のままに行きたいな」と思いました。

どういうことなのか、書いていきます。

理想と感情

私たちが「あれしたい、こうしたい」という時、2つの判断元があります。

すなわち、理想感情です。

長期的な感情 / 短期的な感情、と言い換えてもよいでしょう。

例えば、「かっこいいインテリアにしたい!」という理想がある時、ふと見かけた「かっこいい家具」に惹かれて、ついつい買った。これは、理想感情が一致(「かっこいい!」)して、良い方向に向かった形です。

しかしここで、ふと見かけた「可愛い家具」に惹かれて、つい買ってしまったとします。これは、理想感情が相反していて、後悔するでしょう。良い方向とは言えないですね。

私たちの短期的な感情というのは、些細なことでしょっちゅう動いてしまいます。感情にだけ舵を切らせると、進行方向に一貫性がなくなって、結局何がしたかったのかわからない、まとまりのない所をウロウロしてしまいます。

効率を求めたり目標を達成したりすること自体は、人生の本質的・絶対的な目的ではありません。ですが「こうなりたい!」という理想を、毎回感情が邪魔すると、いつまでたっても理想に近づけない。長期的な感情を達成できない。ちょっと気をつければ十分実現できる目標が、実力があっても叶わなくなってしまうのです。

先の「“心”」とは、長期的な感情、理想に近いものとして言ってます。

「私の感情」?

さて、このブログで何回か書いていることですが、私たちは「大いなる存在」によって、成り立っています。

「自分が・自分の力で・自分の人生を生きている」ように感じられますが、実際は「なるようになっている」だけです。「この私」「私の思考」というものも、周りの現象によって成り立つ、不思議で不確かな現象です。

生まれた瞬間から、他の人間に、ひいては社会に周囲を取り囲まれています。人間から生まれ、人間によって、人間として育てられます。ゼロから100まで他人の影響を受け続け、どういうわけか重力には逆らえず、水を飲まないと喉が渇き、呼吸をしないと死んでしまう。私が何かを思考するとき、私の意思で神経細胞に電流を流しているわけではない。全部、自動です。こういった「そういうことになっている」自動的な働きには、どうやっても逆らえない。

かくして、遂に「本当の、ゼロからの、この私の、確かな意思」は、ないのです。

私と呼ばれる肉体」はあれど、「私であることを確かに決定づける、絶対的なコア」は、どこにも無いのです。

「じゃあ、長期的な感情も、短期的な感情も、“自分のもの”じゃない、っていうのか?なら、自分とは何者なんだ?いったい、どう生きていけば良いんだ!?」

...困ってしまいました。

困りますね。

でも、本当は何も困りません。

だって、全員もれなく同じ状態なんですからね。

あなただけが「なくなってしまった」わけではありません。

元から全員いなかった、ということに気づいただけです。何も問題ありません。

風の吹きだまり

「自分」が無くても、大丈夫です。というか、自分がないから安心です。

本当は自分が無いんだから、自分が死んでも、その時はその時で特に問題はない。ちょっと痛いだけ。愛する人々が残されるのは心苦しいですが、その人たちも最終的にはいなくなります。

かくして、何事もたいしたことではない、と気づけます。

「自分」とは、大いなるエネルギーの流れにできる吹きだまり、みたいなものだと感じます。心の窓を開けておけば、スーとが流れていきます。「“自分の”考えだ!」とリキまなくても良いし、同様に「“自分の”考えなんて、どこにもない」と嘆かなくても良いのです。

とはいえ、経済社会で生活していく以上、ある程度は「自分が」「自分の」と言わなければいけません。窓を開けっ放しでは生活できず、といって閉めっぱなしだと「自分が自分が」で大変になります。

換気を忘れない、ちゃんとした「心の管理者」でいたいのです。それは、心の健康を守るためでもあり、長期的な感情≒理想を達成するためでもあります。

感情という強風に大騒ぎするのではなく、「風が強くなってきたなあ」と気づき、窓を閉める。風の強い地域にわざわざ家を建てない。

風は自分にはコントロールできないから、適当に付き合っていく必要があるでしょう。良くも悪くも、「風といっしょに」ですね。

映画館で繰り広げられる、諸行無常パラレルワールドを眺めて、そんなことをぼんやりと思ったのでした。